ここは夢園荘
恵理の章2
あれからどこをどう走ってきたのか覚えてない。
『夏樹を助けてあげて……』
私の頭の中を亜沙美さんの言葉がぐるぐると回っている。
「私はどうしたらいいの……」
誰に言うわけでもなくつぶやく。
こんな状態で夏樹さんに会うことも出来ない。
相談したくても夢園荘のみんなは出かけていていないし、第一こんなことを相談するわけにはいかない。
自分で解決しなきゃ……。
「あれ?」
いつの間にかノルンの前。
「無意識のうちにここに来ちゃった」
私は入り口のところでどうしようか迷った。
このドアを開ければ夏樹さんがいるかも知れない。
今一番会いたくて、そして会いたくない夏樹さんが……。
「行こ……」
私は入るのをやめ、歩き始めようとした時、その進行方向に夏樹さんの姿があった。
「やぁ恵理」
向こうも私の事に気づいた。
夏樹さんは片手で大きな買い物袋を抱え、空いている手を挙げ私に声を掛けた。
「な、夏樹……さん……」
「恵理もノルンに来たんだ。お互い暇人同士だな」
「いえ、私は……」
夏樹さんの顔をまともに見ることが出来ずに視線を下に下げた。
(あれ?)
私の方に歩いてくる夏樹さんは何故か右足をかばうように歩いている。
「夏樹さん、足、どうかしたんですか?」
「さっき車を避けたときに段差を踏み外してね。思いっきりひねった」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ちょっとだけ歩くのに難儀してる……かな?」
「だったら早く手当てしないと」
さっきまで夏樹さんの顔を見ることすら出来なかったはずなのに、夏樹さんが怪我をしたと聞いた途端慌ててしまう私。
やっぱり私には夏樹さんだけなのかも知れない……。
「その前にこいつをノルンに届けなきゃいけないんだよな……そこでシップもらえばいいか。な、恵理……恵理?」
「え、あ……そ、そうですね」
「大丈夫か?」
「私は大丈夫です」
めいいっぱいの空元気だな……。
店内に入ると、昼の混雑が過ぎて一休みしている鷹代さんと卯月がいた。
一休みと言っても鷹代さんは夕方からの仕込みをしている様子だったけど……。
「タカぁ、買ってきたぞ。立て替えた金とコーヒーとオレンジジュースとシップをくれ!」
夏樹さんは入るなりそう言った。
私は夏樹さんの後で思わず苦笑い。
「お前なぁ……」
鷹代さんと卯月も苦笑いを浮かべている。
「オレンジジュースって事は……恵理ちゃんいらっしゃい」
鷹代さんは夏樹さんの後にいる私に向かって言ってくれた。
注文する物でそれが誰のなのか分かってるんですね(^^;
「ところでシップなんかどうするんだ?」
「車を避けて足捻挫した」
「ドジ」
「うるせぇ」
夏樹さんは悪態をつきながら荷物をカウンターの上に置く。
「領収書はこの中に入ってるから、何杯分かのコーヒーでちゃらでも良いぞ」
「はいはいありがとう。卯月、奥から救急箱持ってきてやってくれ」
「冷たいな……」
鷹代さんは夏樹さんの言葉を半分聞き流しているように紙袋から領収書を取り出し眺めている。
「……コーヒー5杯」
「10杯」
「8杯」
「8杯+今日の恵理のオレンジジュース」
「商談成立」
本気かな……この二人って(-_-;;
なんか呆れてしまう私。
「恵理、こんなことで呆れてたらこの人達とは付き合いきれないよ」
いつの間にか卯月が救急箱を持って私のそばにいた。
「卯月……朱に染まった?」
「染まったかも……。はい、救急箱」
救急箱を私に手渡す。
「え?」
「え、じゃない。あなたが診てあげなきゃ」
「……うん」
「恵理……」
「?」
「大丈夫? 何か元気ないみたいだけど」
さすがは友達、鋭いね。
「私は大丈夫だよ」
「なら良いけど……。ほらそこの二人ともいい加減漫才は止めて、高志さんは仕込みの続き、夏樹さんは奥のテーブルで恵理ちゃんに手当てしてもらう」
しっかり仕切ってる。
卯月、同棲を初めてから強くなったな……。
「タカの奴、なんだかんだ言ってしっかり尻に敷かれてるな」
夏樹さんは私が救急箱を持って待つ一番奥のテーブルに来ると率直な感想を漏らした。
「そうみたい」
私もつられてクスッと笑った。
「でも良いのか?」
「何が?」
「足の治療。このぐらいだったら一人で出来るけど……」
首を左右に振ると「私がやりたいから……」と言った。
夏樹さんは「そうか……」といいながら右の靴と靴下を脱いだ。
私は治療しやすい場所に移動すると、夏樹さんの足首を診る。
少し赤くなって腫れている。
足首を持って軽くひねってみる。
「大丈夫ですか?」
「そっちは大丈夫」
「では……」
さっきとは反対方向に軽くひねる。
「……っ!」
「ご、ごめんなさい」
「このぐらい大丈夫だよ」
「うん……」
私は患部に湿布を貼り、包帯をテーピングの要領で巻いた。
「上手いもんだね」
夏樹さんは素直に感心しているようだ。
「これでも陸上部ですから」
「日常って事かな?」
「そうですね。はい、これで大丈夫です。この程度ならあまり動かさないようにしていれば2〜3日で痛みが引くと思います」
「ありがと」
夏樹さんの言葉にニコリと微笑み返した。
いつもの調子に戻れたかな?
私は救急箱に出した物を片づけ始めた。
「……恵理」
「はい?」
「ちょっと話があるんだけど……良いかな?」
「はい、何ですか?」
片づけの手を止め、夏樹さんの向かいに座る。
「恵理、いつもありがとうな」
「なんですか、改まってお礼なんて。それに私いつも迷惑ばかり掛けて……」
「………」
夏樹さんはそこで黙り、じっと右手の指輪を見た。
「夏樹さん?」
「そんなこと無いよ。お前がいたから今の俺があるんだと思ってる」
その時、夏樹さんの目に一瞬悲しみの色が見えた。
『夏樹が笑うようになったの……恵理ちゃん、あなたと出会ってからなんだってね』
亜沙美さんの言葉が甦る。
「実は俺には妹がいたんだ……でも9年前に事故で……」
冬佳さんのことだ。
『冬佳ちゃんは私達の目の前で通り魔に刺されて……』
また甦る言葉。
……ダメ……聞きたくない……。
夏樹さん……いったい何を話そうとしてるの?
……怖い……聞きたくない……。
「恵理?」
夏樹さんが私の異変に気づいて心配そうに見てる。
でも私は何も言えない。言うべき言葉が見つからない。
ただ恐怖心だけが私の心を占めていた。
「恵理、大丈夫か?」
夏樹さんの心配する声が聞こえる。
ダメ……また……おかしくなる……。
私は居ても立ってもいられなくなりその場から逃げ出した。
「恵理!」
夏樹さんごめんなさい。でも今はダメなの……。
ノルンから飛び出した私はそのまま中央公園まで来た。
そして噴水のベンチに腰掛ける。
「はぁ……」
軽い溜め息。
走ってどうにか落ち着いたみたい。
「また逃げ出しちゃった……今日の私、絶対に変……。やっぱりあの夢のせいかな……」
3年前、夏樹さんに振られた時のこと……。
「それだけじゃないか……」
亜沙美さんとの話……。
「亜沙美さんの話で夏樹さんが冬佳さんの事をどれほど思っていたのか分かったから……。亜沙美さんでもダメだったのに私なんかに……いくら好きでも冬佳さんに勝つ事なんて……」
だんだん考え方が後ろ向きになるのが分かる。
私らしくないのは分かってるけど……でも今は……。
「すっぱりと諦めた方が良いのかな……」
思わず自虐的な笑み。そして再び溜め息。
「部屋に帰ろう。一晩寝て落ち着いたら夏樹さんに謝ろう。そしてこの恋を諦めよう……」
突然私の目から涙が零れ始める。
「あれ?」
涙は次から次へと出てくる。
「やだ……なんで……」
理由は分かってる。だけど問わずにはいられない。
「諦めるって決めたのに……止まってよ……」
私の意志に反して涙は止まらない。
「夏樹さん……」
「呼んだか」
その声に私は顔を上げる。
「なんで……」
「突然、飛び出すから追いかけてきたんだよ。全く、当てもないからいろんな人に聞きながら来たから時間が掛かったけどな」
言葉が出ない。
「せっかく、お前に診てもらったのに悪化したかもな」
右足で軽く地面を蹴りながら笑って言う。
「ところで話の続き聞いて欲しいんだけど、良いかな?」
痛むの右足を庇うように私に近づいてくる。
「ごめんなさい、今は……今はダメなの!」
私はベンチから立ち上がると、また逃げるように駆けだした。
「お、おい恵理!」
(夏樹さん、ごめんなさい。)
そのまま公園から出ようとしたとき、中年ぐらいの男とぶつかり、互いに尻餅をついた。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて立ち上がり行こうとしたとき、私とその男のとの間に血の付いた包丁が落ちていた。
(え?)
男は包丁を拾い上げると、それを振りかざし私に襲いかかってきた。
血を見てさらに動転してしまった私は反応が遅れ、後に転ぶことでなんとか最初の攻撃を避けることが出来た。
でも、次は……。
目の前まで迫る包丁。
私は目を閉じた。
暫しの間。
いくら待っても痛みがない。
私はおそるおそる目を開ける。
そこにあるのは見覚えのある、ずっと私が見てきた背中……。
「夏樹さん!」
「大……丈夫……だな……」
苦しそうな声。
ふと夏樹さんの足下に視線を落とすと、左足のところに血が……。
「な、夏樹さん!」
私は何とか声を出す。
「人を刺して……逃げてきたって感じだな……」
「は、離せ!」
「離すかよ……お巡りが来るまで……ここにいてもらう!」
何かが砕ける音。
と同時に男が悲鳴を上げる。
「これでも……リンゴぐらいだったら左手で潰せるもんでね」
男は痛みからか叫び続け夏樹さんの言葉を聞いてない。
「うるさい」
空いてる右手で男の顔とお腹を殴り、さらに左手を離し男を解放すると同時に右の蹴りを男の左側頭部に入れた。
「これで……しばらく起きないだろうな……」
そしてすぐに夏樹さんは左の脇腹に刺さった包丁を強引に抜いた。
と同時に大量の血が流れる。
その血を見たとき、私は我を取り戻し夏樹さんに駆け寄った。
「夏樹さん!」
「良かった。お前が無事で……」
「私のことよりも……」
顔色がだんだん悪くなっていく。
「もう大切な者を失いたくないから……」
「夏樹さん!!」
「……恵理…………」
その言葉を最後に夏樹さんは私の方に倒れてきた。
私は何とか倒れる夏樹さんを支えようとしたけど、耐えきれずにその場に座り込む。
「夏樹さん、目を開けて! お願いだから、夏樹さん!!」
私の呼びかけに夏樹さんは全然反応してくれない。
それでも私は必死に呼びかける。
だんだんと私の服が夏樹さんの血で染まっていく。
でもそんなのは関係ない。
何度も何度も夏樹さんの名前を呼び続ける。
だけど夏樹さんの顔色がさらに悪くなり、息が細くなっていく。
「いや……」
遠くで人のざわめき声。
「いや……」
かすかに聞こえるパトカーの音、救急車の音。
「いや……」
もう何も聞こえない。
「いや……」
そして目の前が赤く染まっていく……。
「いや〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
<あとがき>
絵夢「夏樹、死んじゃったね」
ばきぃ!!
絵夢「い……痛い……」
恵理「これってどう言うこと!」
絵夢「だから、9年前の再現ってやつ」
恵理「あのねぇこれからどうするつもりなの!!」
絵夢「恵理、怖い」
恵理「返答次第ではただじゃおかないよ」
絵夢「次回『絆』をお楽しみ」
恵理「……言うことはそれだけ?」
絵夢「前に『幸せにする』って話してなかったっけ?」
恵理「……信じるよ……その言葉」
絵夢「そのジト目は止めなさい」
恵理「じと〜〜〜〜〜」
絵夢「と言うわけで次回お楽しみに〜」
恵理「じと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
絵夢「まだ見てるよ(;_;)」